断酒を続けて今日で777日になりました。
長かったような、短かったような。
あんなに飲んでいたのに、今となっては飲まないことが当たり前になりました。
習慣とは恐るべきもの。
飲む習慣よりも飲まない習慣の方が断然良い。
良いのは分かっていても続けにくいのが断酒。
毎日毎日積み重ねてきたものも、一日飲めば元の木阿弥。
なぜ続けられているのか。
断酒日数をカウントしてみることにした
毎日毎日断酒した日々を記録することで断酒を継続しようと思い、断酒の日数をカウントすることにしました。
過去に2度断酒をしましたが、失敗したのはふとした時に飲みたくなる衝動を抑えられずに飲んでしまいました。
これをなんとか克服せねばと、3度目の断酒を決意した当初、何か良い方法はないかとググってみたのを今でも思い出します。
その時、断酒ブログで断酒の日数を記録していたムーランさんのブログに出会いました。
ムーランさんのブログ:断酒を記録してみる
圧倒的な断酒の記録と断酒をはじめるまでの苦しみが書き綴られていました。
現在のムーランさんは1381日目ですので、当時のワタシがブログをみたのはムーランさんが600日目くらいだったことになります。(あの時のムーランさんよりも長く続いているワタシ自身の断酒日数を思うと感無量です。)
そして、ムーランさんのブログからツイッターのアカウントをたどっていくと、多くのツイッター断酒仲間がいることを知りました。
みんな毎日日々の断酒日数を記録していました。
それは当時のワタシには衝撃的でした。
「600日も毎日記録してきたのか」
こんなに長期間、自分にできるのか、急に不安になりした。
しかし、ひたすら「酒を我慢する」「自制心」だけで断酒をするというこれまでのやり方と同じでは、きっとまた行き詰まって失敗してしまうと思い、日々の断酒日数をツイッターでカウントしてみることにしたのです。
はじめのうちは、カウントすることに慣れないので時間もかかるし、なかなか増えていかない日数と30日目くらいまでの禁断症状の苦しみに悩まされていました。
しかし、ツイッターで断酒している多くの先輩に質問をしたり、ムーランさんをはじめとしたブログを読み漁ったりしながら、なんとか毎日カウントしていくことを続けていきました。
慣れてしまえば定型の宣言文にちょっとコメントを入れるだけなので朝の日課となりました。
日課となって習慣になれば自動的にできるようになります。
そして、毎日挨拶をする断酒仲間が少しずつだんだんと増えていきます。
ワタシの場合は100日先輩のますたくさんが、先行く道しるべとして導いてくれました。
ぴったり100日違いなので、時々間違えてしまうカウント数にもすぐに気が付くことができます。
100日先輩に遅れぬようにという思いも芽生えてきて、継続することにも励みになっているのです。
断酒日数をカウントすることに意味はあるのか
時々話題に出てくるのが「断酒日数をカウントする必要性」の有無。
最近、ワタシは「数字自体にはそれほど意味はない」と感じるようになりました。
100日500日という節目には何となく達成感はありますが、毎日カウントをしていると、次第に数字はどうでも良いという感覚になってくるのです。
777日ともなるとなんだか嬉しくなります。断酒仲間からのお祝いメッセージもとてもうれしいです。
でも、数字自体には重みはなくなってくるように感じるのです。
777日も778日も、一日は一日で何も変わりがないのです。
275日も412日も、同じ一日にすぎないのです。
それよりも、この長きにわたるカウント生活を通じて知り合うことのできた断酒仲間と「今日も断酒をしよう!」「今日も断酒をしたぞ!」と分かち合えることの方が重要だなあと感じます。
これまで2年以上一緒に断酒をしてきた仲間は本当に大切です。
途中でスリップしてカウントがゼロに戻ってしまった仲間も、今日からまた1から始めれば、仲間であることに変わりありません。1日だろうが300日だろうが、1000日だろうが、仲間であることに変わりはないのです。
カウントすることに意味があるのかと問われれば、たぶんカウントする「数字」にはあまり意味はないと答えるでしょう。
カウントをすることで知り合うことのできた仲間との関係に大きな意味があるのだろうと答えるでしょう。
ワタシも今日飲んでしまえば、明日は1日目から再スタートです。
そんな時でも、仲間はきっと「また一緒にはじめよう!」と言ってくれるに違いありません。
その一日は昨日の一日と変わりないのです。
今日も一緒に断酒する仲間は昨日の仲間と変わりないのです。
昨日と変わらない仲間がいることの方が大切。
そこにはもはや数字は関係ないのです。
今日まで断酒を続けられているのは、みんなのおかげ。
本当に感謝しかありません。
ありがとう、みんな!!